2011年7月10日

阪神教育事件

1947年/昭和22年、10月、連合国軍最高司令官総司令部総司令官ダグラス・マッカーサーは、日本政府に対して、在日朝鮮人を日本の教育基本法、学校教育法に従わせるよう、に指令した。

当時、在日朝鮮人の子弟は、日本内地の教育により、朝鮮語の読み書きが充分にできず、日本各地で国語講習会が開催され、文字と言葉を知りえた者が先生となり、在日朝鮮人に独自に作成された教材で朝鮮語を教えた。

国語講習会は在日本朝鮮人連盟/略称は朝連、事務所や工場跡地、地元の小学校校舎などを借りて開かれた。後に、国語講習会は朝鮮人学校に改組され、学校は全国に五百数十校、生徒数は6万余人を数えた。

1948年1月24日、文部省学校局長は各都道府県知事に対して、朝鮮人設立学校の取扱いについて、という通達を出し、朝鮮人学校の閉鎖と生徒の日本人学校への編入を指示した。朝鮮学校閉鎖令。

同年1月27日、朝連は第13回中央委員会を開催し、朝鮮学校閉鎖令に対し反対を表明した。さらには、三・一独立運動闘争記念日に合わせて、民族教育を守る闘争を全国で展開するように煽動した。

大阪府と兵庫県ではこの通達に基づき、朝鮮学校の閉鎖を命じた。阪神地区では、朝連の宋性澈が闘争の指導に当たる。在日朝鮮人・金太一が闘争中に警官に射殺されている。

http://misumaru.tumblr.com/post/7434132607#content/参考動画:【阪神教育事件】なぜ菅直人が非常事態宣言を出せないのか?

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