2011年6月4日

凛として愛

歴史ドキュメンタリー凛として愛は、平成12年の暮れから13年、14年とあしかけ3年にかけて靖国神社130年を記念して制作された。普通の映画とは視点が違う。日本國の戦いは、大東亜聖戦であるというテーマで全編が貫かれている。

昨今、日本解体なる戯けた言葉が飛び交い、巷間を賑わせているが。日本の解体は、実は終戦直後から既に始まり、戦後から今日まで65年以上続いている。日本は悪い国という自虐史観が我が物で跳梁していのも、由々しき事態である。

靖国神社は、戦後の歪められた歴史認識を容認してきたが、此処で一つ、歴史の真相を世に問い直そうではないか、と意を決して制作されたのが本作品だ。

まほらやまと/大和國、は、武天皇以来、誇りある民族として、天皇/すめらみこと、を、中心として纏まり國を治めてきた。長大な歴史スパンのなかで、今度の映画では明治以降の近代戦争にのみ焦点をあてている。

我が國の聖なる戦いの歴史の奥底に流れる、我が民族のまことの姿を後世の人々に伝えていこう。映画を見た人が、まほらやまとの魂に触れて、勇気をふるい立たせて素晴らしい國を築いて欲しい。泉水隆一監督は、斯くの如き熱き思いを込めて本作品を作り世に送りだした。

しかしながら、本映画は、靖国神社で二日間しか上映されず、お蔵入りにさせられた。中韓からの抗議により、映画の上映が禁止にされたのではと噂されたが、映画を中止させたのは、我が國の保守陣営からの圧力でした。靖国神社内には様々な集団がある。凛として愛は、泉水隆一氏個人の映画で靖国神社とは関係ないとの如何わしい理由で放逐された。将に、獅子身中の虫だ。

偉大なる先人達に感謝、合掌!

すめらみことおはしますなりまほらまよ、あたらし御世にいやまし栄えむ

http://www.stumbleupon.com/su/8SXreJ/www.youtube.com/watch%3Fv%3DHpz5rFqI7jA/凛として愛、1/7

凛として愛の名言:日本人ですからね。降伏という事は知らんから、もうこれは、「全員、もうここで戦死やな」と、みんなで覚悟を決めましたよ。私もその一人ですわね。その時にね。なに­を言うたか、涙が出ますがね。「みんなで靖国神社で会おうぜ!」 言うたもんですよ。「靖国神社で会おうぜ」と。

靖国神社に変わるね。国営の戦没者墓地を作ろうなんて言うてましたらね。わたしゃね、「戦友達がなんと聞いたじゃろう」って涙が出ましたよ。みんな、「靖国神社で会­おうぜ」って誓い合おうて死んだんですよね。あの魂がね、靖国神社の中の魂が、日本の国をまもっとるんですよ。今でも。

2011年6月3日

尖閣を護ろう

尖閣諸島の領有権についての基本見解

The Basic View on the Sovereignty over the Senkaku Islands

http://pressinfomemo.tumblr.com/post/6140561745/#Item/[HD]尖閣諸島は日本の領土です。Senkaku Islands are Japanese territories


尖閣諸島は、1885年以降政府が沖縄県当局を通ずる等の方法により再三にわたり現地調査を行ない、単に此処が無人の島であるのみならず、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを慎重確認した。1895年1月14日、現地に標杭を建設する旨の閣議決定を行な­い正式に我が國の領土に編入した。

From 1885 on, surveys of the Senkaku Islands had been thoroughly made by the Government of Japan through the agencies of Okinawa Prefecture and by way of other methods. Through these surveys, it was confirmed that the Senkaku Islands had been uninhabited and showed no trace of having been under the control of China. Based on this confirmation, the Government of Japan made a Cabinet Decision on 14 January 1895 to erect a marker on the Islands to formally incorporate the Senkaku Islands into the territory of Japan.

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変更4箇所

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最近の支那情勢

5月31日、香港の人権団体/中国人権民主化運動ニュースセンターが発表した。中国天津市塘沽区建港村で30日、ウイグル族の住民が回族の住民と衝突し、回族の飲食店を壊した。

飲食店襲撃後、約100人のウイグル族が刀やこん棒を携えて付近を歩き回る一方、回族も数百人が集まり、飲食店を壊したウイグル族を逮捕するよう警察に抗議。当局は武装警察などの治安維持部隊を動員して抑え込みに。

東トルキスタンやチベットと同様、中共の植民地支配を受ける南モンゴル/内モンゴル自治区、の各地では、炭鉱開発による環境破壊に反対していたモンゴル人の遊牧民が漢族の石炭運搬業者のトラックに轢き殺された事件/謀殺の可能性大、を契機として、モンゴル人による政府への抗議デモが拡大し、一部では戒厳令も敷かれている。5月29日には東京でも、在日モンゴル人が中国大使館前で抗議活動が行われた。

終結したのは「約100人/時事通信」。以前から、南モンゴルの自由を訴える集会、デモ行進などは度々行われてきたが、参加するモンゴル人の数は、何人もいない。何故なぜならは、彼らは中共の監視下にあるからだ。自分の身ばかりか、故国の親族の安全をも心配しなければならないのだ。支那人、甚だ不埒なり。

http://pressinfomemo.tumblr.com/post/6135669651/#Item/動画別画面

若い人が目立つが、多くは留学生なのだろう。彼らは警察の要望に従い、大使館から80メートルほど離れた麻布税務署前の歩道に陣取り、5名一組が順々に大使館の正門前に赴き、「遊牧民の権利を尊重しろ」「金銭より人間の尊厳を」「乱開発による草原破壊に反対しよう」などと怒りの声をぶつけるとの方法でデモンストレーションをした。モンゴル人は、元来勇猛な騎馬民族で、雄雄しい民族である。

一方、税務署前では、モンゴル語、支那語、日本語によるシュプレヒコールが繰返された。また、或いはンゴルの英雄の歌を合唱も聞こえた。

彼等は、支那国籍だが、漢人とは異なる。穏やかで、好感が持てる。戦前、戦中、日本と南モンゴルが東亜の新秩序建設のため、仲良く提携した歴史も思い出され、日本人はふたたびこの民族の自由と人権の闘いを応援して行くべきだ。21世紀の東亜新秩序/中共崩壊後の平和なアジア、を打ち立てなければ。

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昭和女子大学事件

昭和女子大事件/しょうわじょしだいじけん、は、保守的・非政治的学風で知られる私立大学の退学処分を受けた学生が、処分が憲法違反であることを理由に身分の確認を求めて争った事件。GHQ占領規範に定められた人権規定の私人間効力について争われた。最高裁判所1974年7月19日判決。

被告である昭和女子大学によれば、1961年10月20日頃から、学内で無届の政治署名運動を行ったり、無許可で学外団体に加入した学生がいることが判明した。

2011年6月2日

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支那異変

長江流域が干ばつ被害、半世紀ぶりの水涸れ。黄河の17倍の推量を誇る揚子江に異常が。

支那最大の湖である洞庭湖、往時は北海道の三分の一ほどの湖面面積が。年々歳々、工業化によって土砂が流入し、湖面が汚染されてきた。そして、遂に水涸れ。洞庭湖は地域的に一滴の水もない。湖底が地割している。

に武漢をでて広州へ向かう支那自慢の新幹線は岳陽―泪羅間の周辺で、湖底が黒く剥き出しの地面しかないという。多維新聞網、6月2日。

同誌は言う。2008年は華南に大雪、09年は四川、重慶地区に百年ぶりの洪水被害、10年には西南地区五省に干ばつ、11年は揚子江流域の干ばつ。2008年には三峡ダムを遠因とする四川省大地震が起きた。

2011年四月以来、一滴の雨も降らず、湖北、湖南、安徽省、江西省、江蘇省と上海市は水飢饉に襲われ、干ばつ被害による農地荒廃は700万ヘクタール。三峡ダムの貯水は二割程度、下流域は川底が地割れ、揚子江が水涸れという異常事態は半世紀ぶり、とニューヨークタイムズも大きく写真入りで伝えた。

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かへるうぶすな

産土に八洲のかみがみたずぬれば、すめらはしめさむ君が征くみち

大東亜うぶすなこころで啓きなば、やまとのたましいひ絶へることなし

言の葉にのりてうぶすな広まらむ、くにからのみちやまとこころで

文豪・山本周五郎は随筆「人生の冬、自然の冬」のなかで、「人生にも四季があり、好況と不況は常に付いて回る」と綴る。

人生には、必ず、「試練」という名の厳冬がある。然れども、決して断じて諦めず、倦まず弛まず、眼前の課題から逃れず、真正面で艱難辛苦に立ち向かい、使命の道をば踏破しきるならば、勝利の陽春は爛漫と咲き誇る。

誰にでも一人ひとりの使命道、心の言葉をともにぞおくらむ

厳冬もとけて必ず陽春に、勝利は芽吹く闘争のなか

はらからは天下無双の國士なる、皇の剣で闇をば裂きなむ

すべての悪の根源は欧米列強の植民地主義による。欧米列強の暴力がなければ、日本も東亜の解放という難題に取り組む必要はなかった。この事実を、日本は言うに及ばず、欧米諸国こそもっと真摯に受けとめるべきである。そもそも大東亜戦争が侵略を目的としていなかったことは、昭和天皇による玉音放送からも明らかである。次の箇所はぜひ記憶に留めておいていただきたい。

http://www.stumbleupon.com/su/1WFUGI/www.youtube.com/watch%3Fv%3DLSD9sOMkfOo/参考動画:終戦の詔勅、玉音放送